日記なのかブログなのかいまいちハッキリしませんが、ドラッグストア勤務のおっさんがぐだります。
2002年ワールドカップで、
トルコの方々からの暖かい「気持ち」の数々、
覚えている人はいるでしょうか。
誤審だの審判買収だの、
韓国と共同開催なんてもうまっぴらごめんだの、
その辺りは語りつくされているでしょうから割愛。
トルコの方々からの暖かい「気持ち」の数々、
覚えている人はいるでしょうか。
誤審だの審判買収だの、
韓国と共同開催なんてもうまっぴらごめんだの、
その辺りは語りつくされているでしょうから割愛。
何故、トルコの方々に親日家が多いのか?
それは、ある海難事件がきっかけとなっています。
エルトゥールル号は、1887年に行われた日本の皇族、小松宮夫妻のイスタンブル訪問に応えることを目的に、日本へ派遣されることとなった。
1890年(明治23年)9月16日夜半、エルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ、紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし、沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。
灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は、浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの回復に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。
知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示したと伝えられる。こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、10月5日に東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により、生存者たちは翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブルに送り届けられた。
エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国の国内に大きな衝撃を呼んだが、専制君主アブデュルハミト2世のもとでは人災としての側面は覆い隠され、天災による殉難と位置付けられ、新聞で大きく報道されるとともに、遺族への弔慰金が集められた。またこのとき、新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている。
この事件を扱ったフラッシュはかなりの数が作られているよね。
そして、次の事件もセットで必ず語られています。
日本人216名を救ったトルコ航空機
イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったため空港にいた日本人はパニックに陥った。
そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
※この事は、あまり日本人に知られていません。
どうしてなんだろうね。
NHKは、イラン・イラク戦争時のトルコ政府・トルコ航空による日本人救助活動について、プロジェクトXにて取り上げた際に、エルトゥールル号遭難事件との関連については、全く触れなかった。この点についてのNHKへの問い合わせに対して、NHK側は、「1985年の救出に直接関わったトルコ大使やトルコ航空機長など当事者の方々に確認したところ、エルトゥールル号事件のことは全くご存知ありませんでした。114年前のことであり、ほとんどのトルコの人々は事件を知らないのが実状でした。またエルトゥールル号事件がトルコの学校で広く教えられているという事実も無く、教科書も見つかっていません。」と回答している。
細かい数値は知りません。
トルコの方々の何割が、この事件についてしっているのか。
でも明らかに矛盾してるよねぇ?
そして今日知った酷い事件。
もう何年もこのままの状態らしい。
これは大問題だよね。
一市長が招いた日土間の国際問題だと思う。
社民党が与党とか考えられない。
地方に行くほど、
いや、それと年齢が上がるほどなんだろうか、
旧メディアの影響力はあなどれないね。
市長だけの責任じゃぁないんだろうけど。
もうトルコの方々に顔向けできないねこれ。
それは、ある海難事件がきっかけとなっています。
エルトゥールル号は、1887年に行われた日本の皇族、小松宮夫妻のイスタンブル訪問に応えることを目的に、日本へ派遣されることとなった。
1890年(明治23年)9月16日夜半、エルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ、紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし、沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。
灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は、浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの回復に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。
知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示したと伝えられる。こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、10月5日に東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により、生存者たちは翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブルに送り届けられた。
エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国の国内に大きな衝撃を呼んだが、専制君主アブデュルハミト2世のもとでは人災としての側面は覆い隠され、天災による殉難と位置付けられ、新聞で大きく報道されるとともに、遺族への弔慰金が集められた。またこのとき、新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている。
この事件を扱ったフラッシュはかなりの数が作られているよね。
そして、次の事件もセットで必ず語られています。
日本人216名を救ったトルコ航空機
イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったため空港にいた日本人はパニックに陥った。
そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
※この事は、あまり日本人に知られていません。
どうしてなんだろうね。
NHKは、イラン・イラク戦争時のトルコ政府・トルコ航空による日本人救助活動について、プロジェクトXにて取り上げた際に、エルトゥールル号遭難事件との関連については、全く触れなかった。この点についてのNHKへの問い合わせに対して、NHK側は、「1985年の救出に直接関わったトルコ大使やトルコ航空機長など当事者の方々に確認したところ、エルトゥールル号事件のことは全くご存知ありませんでした。114年前のことであり、ほとんどのトルコの人々は事件を知らないのが実状でした。またエルトゥールル号事件がトルコの学校で広く教えられているという事実も無く、教科書も見つかっていません。」と回答している。
細かい数値は知りません。
トルコの方々の何割が、この事件についてしっているのか。
でも明らかに矛盾してるよねぇ?
そして今日知った酷い事件。
もう何年もこのままの状態らしい。
これは大問題だよね。
一市長が招いた日土間の国際問題だと思う。
社民党が与党とか考えられない。
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アリウス
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性別:
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職業:
ドラッグストア各店放浪中
趣味:
釣り・歌うこと・本読むこと。
自己紹介:
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お酒、から揚げ、
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歌うこと、ゲーム音楽
油っこいものと、
カレー、
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