日記なのかブログなのかいまいちハッキリしませんが、ドラッグストア勤務のおっさんがぐだります。
それ程長くはない本なので、日韓併合あたりの歴史を知りたい方にはおすすめできるかもしれません。
他の本とひと味違うのは、
「日本は悪くなかったのに、戦争に引きずり込まれた…大東亜戦争はアジアの開放戦争だったのだ…。」
と、まぁ、そんなことばっかり言ってる人にチクリと釘を刺すような箇所もあることです。
俺も半分以上はそんなこと思ってました。
日露戦争の資金についてなんですが、ニューヨーク金融界の大物ヤコブ・H・シフと、鉄道王エドワード・H・ハリマンが日本国債を先頭に立って買い支えたそうです。
日本は彼らの金で戦ったのに、
ハリマン「うちら金出したわけだし、南満州鉄道は共同で経営しない?」
天皇陛下・首相・元老達「ま、いいんじゃね?んそれじゃ仮条約締結すっか」
ハリマン「んじゃ俺はアメリカ帰るねー」
小村寿太郎「条約が締結されたと聞いて帰国してきました。」
小村寿太郎「金出してもらったけど日本人10万人も死んでるし、満州に結構金つぎ込んでるし、もったいなくね?」
小村寿太郎「と、いうわけで契約は破棄!」
アメリカ「久しぶりに…キレちまったよ…」
なんかそんな流れなのだろうか。
どうもここから日米の関係が悪化の一途をたどってしまったっぽい。
他には、「二千円札」のお話。
余談だが、沖縄首里城の「守礼門」も似た華夷秩序の意味があるが、二千円札に採用されてしまった。衰弱した日本人の歴史意識の遺跡として、二千円札は残るだろう。
なんて、痛いお言葉がありました。
華夷秩序ってのはまぁ、中国が一番偉いんだ!!東夷、西戎、北狄、南蛮なんて人じゃねー!!(化外の民)っていう考え方。なので「中国」と呼ぶことは既に相手を持ち上げてしまっているということ。いちいち支那とかチャイナ言うのも面倒なので中国って言っちゃってるけどね俺は。まぁそんなこと今の日本、中国人両方ともそれほど知らないとは思うんだけどね。だからあんまり気にはならないかな。
守礼門には、中国から使者が来ている時だけ「守禮之邦」って札を下げて、それ以外は普通に「首里」って札を門に掲げていたようだね。薩摩藩公認の二重外交は逞しく感じて琉球王国やるなぁ、って感じなんだけど、
この「守禮之邦」
意味は「中国皇帝に対して3回ひざまずいて9回額を地面に擦り付ける、そんな礼儀をよくわきまえたちっさい国pgr」って意味。
はい、あそこの国のあの門と同じだよね。
迎恩門
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。ここで朝鮮王は、九叩三拝(頭を9回地面に叩きつけて、ひれ伏)し、清の使者を迎えた。朝鮮の王は中国の使者より地位が下だった。
こんな意味のデザインが国のお札とか…ねぇ?
守礼門を日本国の通貨のデザインとして採用したのは誰なのか、私は知りたいと考えている。
ええ、俺もそう思います。痛車どころじゃねぇな。痛貨だなこれ。
こういう事を国のトップの中に知っている人間がいない(か、それとも知ってて採用したのか)のが今の日本が情報戦争に大敗している証拠なんだろうね。
あとは最近は大体知られてきている、
500年埋れていたハングルを日本人が掘り起こして朝鮮全土に広めたとか、
1905年には5校しかなかった小学校が1905年~1945年の日本統治時代に5213校まで増えた(増やした)こととか、
平均寿命を1910年度の24歳に対して1942年度45歳までに伸ばしたこととか、
朝鮮風の姓だと中国人に馬鹿にされるから、日本人風の姓名に変えたいという希望があったので「創氏改名」を許可するっていうお触れを出した。ということとか、
良い復習になりました。
他の本とひと味違うのは、
「日本は悪くなかったのに、戦争に引きずり込まれた…大東亜戦争はアジアの開放戦争だったのだ…。」
と、まぁ、そんなことばっかり言ってる人にチクリと釘を刺すような箇所もあることです。
俺も半分以上はそんなこと思ってました。
日露戦争の資金についてなんですが、ニューヨーク金融界の大物ヤコブ・H・シフと、鉄道王エドワード・H・ハリマンが日本国債を先頭に立って買い支えたそうです。
日本は彼らの金で戦ったのに、
ハリマン「うちら金出したわけだし、南満州鉄道は共同で経営しない?」
天皇陛下・首相・元老達「ま、いいんじゃね?んそれじゃ仮条約締結すっか」
ハリマン「んじゃ俺はアメリカ帰るねー」
小村寿太郎「条約が締結されたと聞いて帰国してきました。」
小村寿太郎「金出してもらったけど日本人10万人も死んでるし、満州に結構金つぎ込んでるし、もったいなくね?」
小村寿太郎「と、いうわけで契約は破棄!」
アメリカ「久しぶりに…キレちまったよ…」
なんかそんな流れなのだろうか。
どうもここから日米の関係が悪化の一途をたどってしまったっぽい。
他には、「二千円札」のお話。
余談だが、沖縄首里城の「守礼門」も似た華夷秩序の意味があるが、二千円札に採用されてしまった。衰弱した日本人の歴史意識の遺跡として、二千円札は残るだろう。
なんて、痛いお言葉がありました。
華夷秩序ってのはまぁ、中国が一番偉いんだ!!東夷、西戎、北狄、南蛮なんて人じゃねー!!(化外の民)っていう考え方。なので「中国」と呼ぶことは既に相手を持ち上げてしまっているということ。いちいち支那とかチャイナ言うのも面倒なので中国って言っちゃってるけどね俺は。まぁそんなこと今の日本、中国人両方ともそれほど知らないとは思うんだけどね。だからあんまり気にはならないかな。
守礼門には、中国から使者が来ている時だけ「守禮之邦」って札を下げて、それ以外は普通に「首里」って札を門に掲げていたようだね。薩摩藩公認の二重外交は逞しく感じて琉球王国やるなぁ、って感じなんだけど、
この「守禮之邦」
意味は「中国皇帝に対して3回ひざまずいて9回額を地面に擦り付ける、そんな礼儀をよくわきまえたちっさい国pgr」って意味。
はい、あそこの国のあの門と同じだよね。
迎恩門
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。ここで朝鮮王は、九叩三拝(頭を9回地面に叩きつけて、ひれ伏)し、清の使者を迎えた。朝鮮の王は中国の使者より地位が下だった。
こんな意味のデザインが国のお札とか…ねぇ?
守礼門を日本国の通貨のデザインとして採用したのは誰なのか、私は知りたいと考えている。
ええ、俺もそう思います。痛車どころじゃねぇな。痛貨だなこれ。
こういう事を国のトップの中に知っている人間がいない(か、それとも知ってて採用したのか)のが今の日本が情報戦争に大敗している証拠なんだろうね。
あとは最近は大体知られてきている、
500年埋れていたハングルを日本人が掘り起こして朝鮮全土に広めたとか、
1905年には5校しかなかった小学校が1905年~1945年の日本統治時代に5213校まで増えた(増やした)こととか、
平均寿命を1910年度の24歳に対して1942年度45歳までに伸ばしたこととか、
朝鮮風の姓だと中国人に馬鹿にされるから、日本人風の姓名に変えたいという希望があったので「創氏改名」を許可するっていうお触れを出した。ということとか、
良い復習になりました。
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性別:
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職業:
ドラッグストア各店放浪中
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釣り・歌うこと・本読むこと。
自己紹介:
アリウスの体は、
お酒、から揚げ、
ラグナロクオンライン、
歌うこと、ゲーム音楽
油っこいものと、
カレー、
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で、構成されています。
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